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「展覧会 ウラ話し・オモテ話し」第1回 美術展はこうしてできあがる①

「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」
(2019~21年東京、宇都宮、大分、仙台、広島、大阪に巡回)

学生時代、美術展といえばデートの場としか考えていなかったが、新聞社や放送局の事業部門(イベント担当セクション)で働き、展覧会を40本近く企画した経験から、展覧会のウラとオモテのお話を綴っています。

切手の国くらいのイメージしかなかった

「今度リヒテンシュタインやります!」って言うと某美術館の元館長が「そう!現代アートだね」と応えがかえってきた。それは「リキテンシュタイン!(*リキテンシュタインは、アンディ・ウォーホールらとともにポップアートの代表的アメリカの画家)」。

小学生の頃、少年マガジンや少年サンデーの裏表紙に世界の切手販売の宣伝広告がよく出ていた。珍しい世界の切手を集めるというのがあの頃、流行っていた。切手マニアにとってリヒテンシュタインは貴重な切手を発行する国として知られていた。僕も切手の国くらいのイメージしかなかった。

5年前、いくつか展覧会を一緒に企画した東急文化村ザ・ミュージアムの学芸員Mさんから「リヒテンシュタインから日本で展覧会をやりたい、と言ってきたけど、一緒にやらない?」という話が来た。普通は美術館に対して、こちらから「こういう企画で、展覧会をやらせてください!」と依頼するのだけど。今回は逆のケース。

リヒテンシュタイン-あらためて調べると、小豆島くらいの大きさでオーストリアとスイスに挟まれた世界で6番目に小さな国。かつて栄華を誇ったハプスブルグ家の家臣だったリヒテンシュタイン侯爵家。この侯爵家が元首の国がリヒテンシュタイン侯国。お金持ちの国らしい。リヒテンシュタイン美術館(侯爵家コレクション)は3万点の美術品を所蔵し、個人コレクターとしては世界一という。

同館のクレフトナー館長が日本にやって来た。2017年の4月、Mさんと伴に東京で初対面。会議のあとは鮨屋でラフな話に。時々ジョークを飛ばす実に気さくなオジサンだった。オーストリア人ってこんなに陽気?(彼はリヒテンシュタイン人ではないのである)話を聞いていると(Mさんは外大出身で英語ペラペラ、ついでに言うとフランス語も。当方は懸命にヒアリング)、来日は驚くことに50回とか。日本通というよりも大の日本ファン。日本庭園の研究者でもある。ファーストコンタクトは、この企画が上手くいくことを予感させてくれた。

リヒテンシュタインとオーストリア(ウィーン)へ

その後、程なくMさんは侯爵が美術品を所蔵しているリヒテンシュタインとウィーンに飛んだ。最初のリサーチである。帰国後の報告では、クレフトナーさんのコンセプト「絵画と磁器のハーモニー」「愛らしくエレガントな展覧会」の実現は可能で充分、良い展覧会になるだろう、とのこと。最初の展覧会出品依頼リスト(ドリームリスト)をつくっていく。

メールやSkypeで構成や内容、リストについてのやり取りをしていく(昔は海外とのやり取りは国際郵便、DHL、FAXだった。国際電話は時差やお金がかかることもあり最終手段。海外展制作も実に便利になったものだ、感慨深い!)。美術館の担当者が展覧会の構成、内容などコンテンツ作りが主なら、展覧会マネジメントを担う当方は、開催条件(作品借用料、作品にかける保険、輸送手段やルート、来日の条件などなど)イコールお金に関わることがメインの仕事。大まかな開催条件もメールなどで確認したうえで2019年秋から約1年間、日本巡回をするということを決めた。億単位の仕事になるので、成功させるぞ!の覚悟をもたないと進められない。東京だけの開催では経費が賄えない。展覧会マネジメントの仕事に巡回会場を決めるということがある。パッケージにして展覧会を営業すること、これが最も大事な、そしてシンドイ仕事なのである。

開催の1年前2018年7月、Mさんと磁器の専門家である九州陶磁文化館のS館長と一緒にフィンランドのヘルシンキ、スイスのチューリヒを経由して最後は陸路タクシーで、リヒテンシュタインの首都ファドゥーツへ。17時間の旅。夜の8時を過ぎてもまだ明るい夏のファドゥーツの宿にチェックイン。人かげの少ない静かな首都でした。(つづく

筆者:のぎめてんもく

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