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「鬼塚勝也ファイティングアート展」

福岡県立美術館で4月19日から元ボクシングの世界チャンピオン鬼塚勝也さん(55)の大規模な個展が開催されています(5月25日まで)。 この展覧会のことを綴ってみます。

鬼塚さんとの出会い~

今から3年半前の2022年、鬼塚さんが個展をやりたいという話しが舞い込んできました。筆者がプロデュースすることになりました。ボクシングの世界を引退して約30年間、描き続けてきたそうです。リングの世界からキャンバスへ・・・どんな作品なんだろう?なぜ元世界王者のボクサーがアートの世界なのだろう?素朴な疑問を持ちつつ彼のホームページからコンタクトをして会いに行きました。

鬼塚勝也とは~

本名は鬼塚隆。チャンピオンを目指し「勝也」と改名。子どもの頃は小児喘息に悩まされ、体も大きな方ではなく、いつしか「強くなりたい」という強烈な思いがボクシングの世界へ向かわせたのだそうです。霧ケ丘中学(北九州市小倉北区)の時にボクシングジムへ通い始め、ボクシング部のある豊国学園(北九州市門司区)へ進学。私も子供の頃、小児喘息に悩まされた身、更には中学の後輩だったことも分かり、縁を感じました。

高校時代にインターハイで優勝しプロへ転向です。「強くなりたい」「世界王者になる」という強烈な信念と、そのための努力は、常人にははかり知れない世界。強い思いと努力〜天性のものがあったと思うのです。22歳で世界王者となり、その後5度の防衛戦を勝ち得たのです。しかし6度目の防衛戦に破れ、その翌日、網膜剥離により引退を表明。失意のうちにアメリカへ。そこで子どもたちが絵を描く姿に出会い、自分も子供の頃、絵を描くことが好きだったことを思い出し、アートの世界を極めようと、ボクシングで世界の頂点を目指したように強く心に誓ったといいます。

展覧会のプロデュースへ~

そうした彼の人生ストーリーは、展覧会制作の大きなモチベーションになったのです。何度も鬼塚さんとミーティングを重ねました。福岡市内がいいのか、それとも故郷の北九州市内がいいのか。どんな展覧会にするか?キュレーションは必要か?どこの美術館がいいのか?〜旧知のいくつかの美術館の人たちと話をしました。その中で福岡県立美術館から「故郷が生んだ異才の画家」という言葉が出て来ました。スポーツで世界の頂点に立った人がアートにチャレンジする姿は素敵なこと。嬉しい言葉でした。今から2年前の2023年の4月に同館での開催が内定したのでした。

美術館は、なかなか現存作家の展覧会の開催には二の足を踏むことが多いのです。現存作家は評価や位置付けが難しく美術館が取り組む“リスク”のようなものがあるのでしょう。それを「故郷の異才の画家」だとして共催に舵を切ってくれた同館の姿勢は流石です。

鬼塚勝也~ファイティングアート展~

それから2年間。それまでに描きためた数万点の作品に加え、大規模な個展に向けて毎日毎日、鬼塚さんは描き続けます。ボクサー時代の練習、スパークリングと同じような飽くなき反復だと言います。今回は600点に及ぶ、同館としても空前絶後の大規模な展覧会になりました。

鬼塚さんのアトリエ兼住まいで作品を見ていても、その色使いの鮮やかさ、リズム感、そしてエネルギーを感じていました。しかし、空間のある美術館に600点もの作品が並ぶと、それはそれは、圧倒的な力のエネルギーが放たれているのを感じることができます。

今回、九州芸文館名誉館長の津留誠一先生に展覧会評をいただきました。

「鬼塚氏の作品はとても激しい色使いや個性的なフォルムでめくるめく、激しい画面を表現しています。絵を描くことは、命を削る仕事。鬼塚氏の作品は「いのち」の表現です。チャンピオンは、孤高の存在です。今後、画家として個性を守って孤高の道を切り開かれることでしょう。」

「アート」とは自己を表現することだと鬼塚さんは言います。大半の作品が自画像です。作品にタイトルはありません。すべての作品が「鬼塚勝也」自身なのです。闘う姿〜ファイティングアートなのです。それを鑑賞者がどう感じるか!元気づけられたり、自分でも自己表現として絵を描こうと思ったり〜様々な共鳴があれば嬉しいです。

55歳になった鬼塚さん。「一身二生」〜ひとつの人生を二つの分野で生きる。まだまだ二つ目のアーティストとしての人生は続きます。二つ目の鬼塚勝也の頂点を目指して。その頂点とは何か?楽しみです。

筆者:のぎめてんもく

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