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「奈良といえば大仏様~東大寺」

いざいざ奈良!の第3弾。今、奈良の展覧会「奈良大和路のみほとけ~令和古寺巡礼展」を創っています。本展でもご協力いただいている東大寺のお話しです。

あまり観光客のいない東大寺のいい風景

旅先で出会う好きな風景の一つに挙げたいのが東大寺の二月堂裏参道です。古いアルバムを引っ張り出すと学生時代にもここで写真を撮っていました。
「二月堂のあたりほどいい界隈はない。立ちどまってながめるというより、そこを通り過ぎてゆくと気分がいい。東域の傾斜に建てられた二月堂は、懸崖造りの桁や柱に支えられつつ西方の天にむかって大きく開口している。西風を啖(くら)い、日没の茜雲を見、夜は西天の星を見つめている」~こう作家の司馬遼太郎さんは「街道をゆく 奈良散歩」で記しています。 
大仏殿に比べると人気(ひとけ)の少ない二月堂裏参道は、古瓦が埋まる築地塀がある石畳の小道。それはゆっくりと、ゆるやかに二月堂に向っています。懐かしいようなこの小道は上がっていくもよし、下りていくもよし。

「大仏様」で有名な東大寺の敷地は広大です。急ぎ足の観光では大仏様を拝むだけかもしれません。でもそれはもったいない。大仏殿の東側、若草山(別名:三笠山)の麓へ足を延ばせば二月堂や法華堂(別名:三月堂)。法華堂には巨大なご本尊「国宝:不空羂索観音菩薩立像」を中心に梵天、帝釈天、四天王など天平時代の仏様が立ち並んでいます。圧巻です。

大仏殿の北側(裏)も歩いてみたいもの。観光客の姿もなく鹿たちが一生懸命に草を食んでいます。光明皇后が聖武天皇亡き後、ご冥福を祈念し、その御遺愛品を納めた正倉院があります。その南側を歩いて行くと転害門(てがいもん)にたどり着きます。何度も焼けた東大寺の中では天平時代そのままの姿という貴重な門です。

一枝の草、一把(すくい)の土で造ろう

天平時代(奈良時代の前半)というと、のびやかでゆったりとしたイメージを持っていたのですが、いやいや大変な時代でした。地震はあるわ、天然痘の流行でバタバタと人は死んでいくわ、権力争いで政変は絶えず・・のとんでもない時代だったようです。満を持して即位した聖武天皇は天平15年(743年)絶えず揺れ動く不安な世の中を鎮め国家が安らかに繁栄していくことを願い「廬舎那(びるしゃな)大仏造立の詔(みことのり)」を発しました。この詔に「人有りて一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らんと情(こころ)に願はば、慾(ほしきまにま)に聴(ゆる)せ」とあります。一部の権力や財力によるのではなく、心ある民衆ひとりひとりの小さな力を集め協力し大仏様をつくり、世の中を安定させよう!という宣言でした。

それに応えたのが私度僧(国家から正規に認められていない僧侶)の行基でした。それ以前に橋をかけたり、池や堀をつくったりという社会事業を行っていた行基は民衆から慕われていた人物です。弟子たちを引き連れ各地をまわり民衆に大仏造立に参加するように働きかけたと言います。推定で国中からのべ260万人、銅500トンが集められ詔が発せられて9年後の天平勝宝4年(752年)に大仏は完成。その開眼供養が営まれ、国内外から僧や役人およそ1万人が集ったというから壮大です。私たちの祖先は1300年も前に偉大な国家事業を成し遂げたのです。

何度も焼け落ちた東大寺

そんな大事業が幾度かの災難に遭います。平安時代には地震の影響で大仏の頭部が落下。平安末期には平家による焼き討ちにより、また戦国時代にも戦火で大仏殿をはじめ多くの伽藍が焼け落ちてしまったのです。その都度、「一枝の草、一把の土」の思想で重源上人や公慶上人など東大寺僧のリードで多くの民衆の力を借りて復興を成し遂げていくのです。今、私たちが拝む大仏様は江戸時代のものです。不屈の東大寺です。

その不屈の精神(こころ)は「二月堂修二会(しゅにえ)」という法要にも観られます。修二会は奈良時代から幾度の戦争中にも一度も途切れずに行われたという不屈の精神のあらわれです。ご本尊の十一面観音菩薩像に人々が犯した罪を代わって懺悔(さんげ)し、民衆の幸せ、天下の安寧を祈るものです。練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる選ばれた11人の僧侶が3月1日から15日未明まで二月堂にこもり、様々な法要を行います。奈良観光でも有名な「お水取り」もその儀式の一つ。閼伽井(あかい)という井戸から香水を汲み、ご本尊にお供えします。その練行衆を夜の二月堂に導く道灯りが、松明です。燃え盛る松明はパチパチと音を立て火の粉をまき散らします。降りかかる火の粉には、健康と幸福のご利益があるとされ、燃え残りを拾いお守りにしようと人々は集うのです。「水と火」~何か象徴的な宗教儀式の仕掛けでしょうか。

奈良時代から1300年も連綿と続く儀式とその精神(こころ)。東大寺を訪ねた時に、あの大きな空間で感じる、あの大いなる威厳は連綿と続く東大寺の不屈の精神(こころ)がここに宿っているからなのでしょう。

「ならまち」散策

東大寺がある奈良公園から歩くこと20分ほどで、近鉄奈良駅の南にある「ならまち」へ。風情ある古い町並みが続き、多くの商店や飲食店がひしめき合っています。そんな中で探し当てたのが居酒屋「鬼無里(きなさ)」。近頃、筆者が信奉する居酒屋探訪家の太田和彦さん推薦の店です。カウンターに並んだ大皿料理はバラエティ。一人で切り盛りする大将(吉岡正倫さん)は一癖ありそうな頑固おやじ。でも時々、ちょっかいをかけてくる話好きでもある。旅人はそんな大将から奈良の話を聞きながら銘柄も教えてくれない「日本の酒」で酔うていくのです。

【ご参考】

筆者:のぎめてんもく

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