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「聖徳太子の法隆寺~時空を超えられるお寺」

いざいざ奈良!私たちが企画をしている展覧会「奈良大和路のみほとけ~令和古寺巡礼展」は、いよいよ4月から山口県立美術館、MIHO MUSEUM(滋賀県)、山梨県立博物館で開催されます。奈良ご紹介の4回目は本展でも大変なご協力いただいている斑鳩町にある法隆寺のお話しです。

聖徳太子のお寺

正岡子規の有名な俳句「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は聖徳太子のお寺です。初めて訪れたのは昔々、中学の修学旅行の時。ここ数年は展覧会の企画で訪れる機会が増え、そのたびに「感じる奈良のお寺」です。

法隆寺は用明天皇が造立を発願したものの亡くなったため607年に推古天皇と用明天皇の子である聖徳太子(当時、摂政だった)が建立したお寺です。今から1400年も前の飛鳥という時代のお寺です。

大仏様のある奈良の中心部からは南西の方角、電車やバスを乗り継いで30~40分。斑鳩町にあります。広々とした参道をゆっくりと歩いていきます。参道の先の南大門から入るとその奥に中門と五重塔が斑鳩の空にそびえたっています。アプローチは長く、近づいていくと、いつも「あの法隆寺」に来たのだと気持ちは高揚してきます。同時に静謐な空間に放り込まれた心地よさも感じるのです。

五重塔は現存する木造建築では世界最古とのこと。またここには国宝と重要文化財の仏像がおよそ300もあり、伽藍には仏像が1000体以上もあるそうです。そうそう、日本で最初にユネスコ世界文化遺産に登録されたのも法隆寺です(1993年、正式には「法隆寺地域の仏教建造物」として)。

法隆寺の仏様

スター揃いの仏像の中で、私が好きな国宝「夢違観音(ゆめちがいかんのん)」。悪い夢を見た後にやさしい微笑みを浮かべたこの仏様に祈れば良い夢に変えてくれるというから摩訶不思議。白鳳時代(7世紀後半から8世紀はじめ)を代表する仏像です。まる顔で頬のふくらみは美しい、優しく可愛らしい仏様です。今回、私たちが企画している展覧会にもお出ましいただく「目玉」のお像です(山口県立美術館とMIHO MUSEUMで)。

春と秋の特別開扉でないとお目にかかれない国宝「救世観音」。昨年、ついに念願かなってそのお姿を拝むことができました。聖徳太子の生き写しではないかとも言われるこの仏様はとても大事にされたようで平安時代末期から秘仏となり、法隆寺の僧侶でさえ拝むことができなかったそうです。

明治17年(1884)、仏様がいらっしゃる禁断の厨子の扉を開け600年余りの眠りを覚ましたのが寺宝調査のためにやってきたアメリカ人で東洋美術史家のフェノロサと彼の助手で美術史家、思想家の岡倉天心でした。この時、この仏様には長さ約450mもある白布が厳重に巻かれていたそうです。そのおかげで保存状態もよく、初のご対面では造立時1400年前の、まばゆい金箔のお顔を拝むことができ興奮しました。まさに時空を超えた体験です。

太子の偉業

この「救世観音」がいらっしゃる「夢殿」は八角円堂で姿形の均整がとれていて美しく、いつも写真に収めてしまいます。夢殿を中心とする東院伽藍は太子が住んだという斑鳩宮があったところ。五重塔がある西院伽藍と夢殿のある東院伽藍を結ぶ築地塀(ついじべい)に囲まれた道を歩きながら太子を偲びます。当時、権力を欲しいままにしていた蘇我氏との争いを避け(太子亡き後、子の山背大兄王は蘇我入鹿により襲われ自害)、人格能力ともに秀逸と言われながら49歳で亡くなり天皇にはなれなかった太子。

「日出る処の天子、書、日没する処の天子に致す。恙なきや(先に日が昇る日本の大王から、日が沈む西の中国の皇帝へ 元気ですか?)」と堂々と中国皇帝へ文をしたため大国に対峙する姿勢。中国大陸や朝鮮半島の大国と肩を並べようと仏教による国づくりや「和を以て貴しとなす」の精神で政治を行った日本古代の偉人、聖徳太子をあらためて感じるのも法隆寺参りなのです。

1400年も前の飛鳥時代の仏像、古代の木造建築物、太子の偉業~ここ法隆寺は時空を超えた体験をさせてくれる「感じるお寺」なのです。

ホッとする奈良~斑鳩の里

法隆寺を後にし、斑鳩の風景の中を歩くとホッとする奈良に出会えます。心穏やかに幸せになれる奈良があります。「ぼうっと眠くなるような風光のおおらかさだけが奈良へ来るたびに思い出される」と書いた作家がいましたが、法隆寺を後にして法輪寺や法起寺に向かうお花畑の斑鳩の里を歩いたときに、このことを実感したのです。

子規に師事した高浜虚子は「余が屍は此地に埋め度いとまで常に恋ひつつある大和路」としたためました。奈良は行くたびに更に人々を魅了していくのです。

太子生誕の地へも

当時、政治の中心地は都があった飛鳥宮です。聖徳太子は斑鳩宮に住んでいたのですから、さしずめ今でいう通勤をしていたことになります。今なら電車を乗り継いで1時間余りかかる通勤路。太子は馬で通ったそうで、太子のために「太子道」が造られたとか。その馬「黒駒」に乗って日本で最初に富士山に登ったのが聖徳太子だったという伝説が山梨にはあるそうです。その「黒駒」の銅像が太子生誕の地、飛鳥の「橘寺」にあります。

【法隆寺界隈のおすすめのお店】

奈良は古代日本の国の始まりの地。なので、いろんなものの発祥の地です。お酒しかり。奈良にはとてもおいしい日本酒があります。好みは御所市にある油長酒造の「風の森」ですが。そして氷も。大仏様の東大寺近くには氷を平城宮に献上した氷室の神様をお祀りする「氷室神社」があります。

今、夏の奈良は「かき氷」を売りにしています。法隆寺にお参りした後はすぐそばの「cafe こもど」へ。「いちじくアールグレイのかき氷」をいただきました。落ち着いた色合いのかき氷。やさしい味でした。

Cafeこもど (カフェコモド) - 法隆寺/カフェ  Cafeこもど (tabelog.com)
令和5年度版 奈良かき氷ガイド nara-kakigori.com
   

【ご案内】

筆者:のぎめてんもく

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