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「奈良へのいざない いざいざ奈良!高畑地区」

奈良に魅せられてきた

近頃、展覧会の企画でよく奈良に行っています。元々、京都好きなのですが、コロナ禍前の「京都の喧騒」が少し嫌になっていたので、京都よりも静かで落ち着いた奈良に現在進行形で惹かれています。何が魅力なのか?1300年も昔の建物が何気なく残っているし、日本の文化や国の始まりを思わせてくれる歴史があるし。華やかさが売りの京都とは違い、その渋さが歳を重ねると合うのでしょうか。大人の街、奈良なのですね、私にとっては。

100年ほど前に和辻哲郎が書いた奈良ガイド本ともいえる「古寺巡礼(大正8年出版)」は一世を風靡し、以来、奈良の古寺や仏像は教養人たちを引き付け、多くの人が訪れ、移り住んだ文化人もいました。正倉院の総括責任者でもある帝室博物館総長だった森鴎外、「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」の正岡子規、会津八一、堀辰雄たち。志賀直哉はおよそ10年間、移住していました。「古代が残っている奈良はローマである、ヨーロッパである」なんてことを言う人もいて、私も奈良の奥深さに魅せられているひとりです。

奈良を世の中に広めたのが写真?

和辻の「古寺巡礼」以降、奈良を世の中に広めたのが写真だった、と言ってもいいかもしれません。明治時代になって、奈良の仏像の国家的な調査がありました。フェノロサや岡倉天心らによるものです。記録的な意味もあって仏像写真が撮られるようになりました。平面の絵画とは違い、立体的な仏像は正面からだけではなく、後ろからも横からも、お顔だけというものも。写真家にとってオリジナリティのある仏像写真は美術作品になります。そして奈良を撮った多くの写真が出版物やポスターに使われ奈良をプロモートしていきました。

入江泰吉記念奈良市写真美術館

奈良を撮った写真家の中でも土門拳と入江泰吉は双璧です。土門は激情の人。彼は仏像と対話しながら「土門にしか見えない仏像」と言えるほど独自な仏像写真を世に出しました。一方、入江は穏やかな人。「風景でも寺院でも仏像でも、このあたりにある一木一草に至るまで、すべて古代人たちの心が宿っているのだ、という気持ちを抱きながら、シャッターを切ってきました」との言葉通り、その写真には「大和の歴史や古代人の哀歓をそこはかとなく醸し出し、情緒的に表現している(写真美術館の説田学芸員)」のです。

高畑(たかばたけ)地区に「入江泰吉記念奈良市写真美術館」があります。大仏様や鹿のいる奈良公園からさほど遠くはない所ですが、多くの観光客のいる奈良公園に比べ訪れる人も少なく、ゆったりとした時空間を味わえます。同館は入江以外にも様々な写真の企画展を開催しています。昨年4月に館長に就任した大西洋さんは、金融機関に勤めた後、出版社を創業した民間出身です。大西館長のもとで新たな試みが進んでいます。インターネット上の仮想空間、「メタバース」で作品を鑑賞できる取り組みです。コロナ禍で美術館訪問ができなかった人たちに、オンラインによるメタバース美術館での作品鑑賞や、撮影した写真をNFT化しメタバース上の美術館へ展示する企画も。その取り組みは大注目です。

写真美術館周辺の高畑地区を歩いてみましょう。すぐそばには「新薬師寺」。大きなご本尊「薬師如来坐像(現在、修復中です)」とその周りには力強い十二神将たち(自分の干支の像を探してしまいます)。このお像を拝むため、度々ここを訪ねます。

「山の辺の道(日本史上最古の道) 百毫寺へ」という標識があります。そのまま進み「百毫寺(びゃくごうじ)」への長い長い階段を登っていきます。登り切ったご褒美は、奈良の街の眺望です。このお寺には「閻魔王坐像」など重要文化財の仏様がいらっしゃいます。そのほか「志賀直哉旧居」や「藤原広嗣(九州で朝廷に対して反乱を起こした)の墓所」など見どころも多い地域です。歩き疲れたらカフェ「ジェラテリア フィオレ」へ。ここのジェラートを目当てに訪れる人も。パスタやピザのランチもあり、高畑地区散歩のあとを癒してくれます。高畑地区からの帰りは、原始林の中を歩いて春日大社へ向かいましょう。古代のままの森を歩いているとタイムスリップしたような。歩くこと20分ほどで、神様のお供であり、神の使いと言われる鹿たちが待つ春日大社の境内にたどり着きます。

【名所案内】

筆者:のぎめてんもく

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