ブログ

イベント開催の裏話などの様々な情報を掲載しています

「展覧会 ウラ話し・オモテ話し」第1回 美術展はこうしてできあがる⑤

「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」
(2019~21年東京、宇都宮、大分、仙台、広島、大阪に巡回)

学生時代、美術展といえばデートの場としか考えていなかったが、新聞社や放送局の事業部門(イベント担当セクション)で働き、展覧会を40本近く企画した経験から、展覧会のウラとオモテのお話を綴っています。(①はこちら)(②はこちら)(③はこちら)(④はこちら

リヒテンシュタイン展の話も今回で最終回

第1会場が無事にスタートしました。展覧会の運営は各会場の主催者が行います。

第1会場は東急文化村ザ・ミュージアムの皆さんが事前に長い時間をかけて準備してきました。会期が始まっても来場者の反応を見ながら、つぶさにプロモーションを行っていきます。10月6日に始まった展覧会は12月26日に最終日をむかえ終了しました。およそ8万人の皆さんに観ていただきました。長い間、作品とともにいると最終日は何やら寂しいものです。再び来日したリヒテンシュタイン美術館の学芸員たちと日本側とが共同して作品チェックを行います。一点一点、会期中に変化がなかったか確認するのです。終了後のチェックはハラハラ、ドキドキするものです。何事もなく点検が終了すると作品はクレートに収められ(梱包と言います)、次の会場に旅立っていきます。

ほっとひと息。一段落です。
次の宇都宮美術館へ日本側の担当者が美術品専用車に同乗し、作品は搬入されました。あとは第1会場と同じ作業の繰り返しとなります。

日中の共同作業のあと、夜はお疲れ様の食事会を時々やります。大の日本ファンであるクレフトナー館長たちと日本酒を酌み交わし、国際交流です。もう「同じ釜の飯を食う」仲間です。お酒が進むとワイワイといろんなテーマでの話になります。プライベートな話題が出てきたなら、シメタモノ!距離がぐっと縮まります。

宇都宮美術館の会期は2020年2月24日に終了です。まさにこの頃、中国発の武漢ウイルスのニュースが世界を駆け巡り始めます。
宇都宮会場の撤収作業に来日したメンバーを迎えにウィーンからの早朝便が着く羽田空港へ。マスクや消毒液を準備して向かいました。「中国は大変だね」とか「マスクは常時着けておくの?」とかまだ笑いながら会話ができた頃でした。

それから3年の長きにわたってマスク生活をするとは思ってもみない時の始まりだったのです。

日本でも新型コロナウイルスの感染が広がる

作品は宇都宮から第3会場の大分県立美術館へ。クレフトナー館長はじめ3人が大分へやってきました。すでに新型コロナウイルスは世界的なパンデミックとなり始めています。宿泊するホテルのレストランは閉鎖され、食事する場所も限られます。マスクをし、密にならないよう展示の準備は進みます。段々と慣れてきた展示は予定通りに終了。そこへ、初めて大分で感染者が出たとの報道。大分県は即、県施設の閉鎖を命じます。予定された開会式も展覧会の一般公開も中止になってしまいました。大分会場は終盤に1週間程度、厳しい来場条件のもと一般公開されましたが来場者は数千人と惨憺たる結果です。致し方ありません。各地に緊急事態宣言が出されます。大分の準備を最後にリヒテンシュタイン美術館からの来日は不可能になったのでした。

一体これから、どうなるのか?このウイルスのことがよく分からない中、感染者数は大幅に増え、死者も増え、底知れぬ時が経過していきます。自分たちがコロナに感染しないかという不安と展覧会は一体どうなっていくのかという二重の不安な日々が続いていきます。第4会場の東京富士美術館へ作品は何とか輸送出来ましたが、作品はクレートに入れたまま展示室に置かれ展覧会は中止を宣告されてしまいます。開催中止で開催館とは条件の再交渉などという難しい仕事も生まれてきます。展覧会の成り行きを思いながら、この先どういう状況になるのかも全く分からないまま暗い日々は過ぎていきます。

2020年夏が過ぎ、いささか感染状況も落ち着きを見せてきました。秋からの宮城県立美術館、広島県立美術館では予定通り開催ができました。実に運がよかった。日本へのフライトも無くなり、リヒテンシュタイン美術館のメンバーは来日できませんから展示、撤収時の作品チェックは指定された作品だけタブレット端末を使いオンラインで行われました。昔は考えられなかったことです。

コロナウイルスのパンデミックで日本各地の展覧会の計画が大幅に狂っていました。ヨーロッパへのフライトも限定的になり、予定通り作品を返却することができません。昔からの仕事仲間の計らいで運良く大阪会場を追加開催できるようになりました。東京富士美術館での開催は中止になったものの、あべのハルカス美術館(大阪)で開催され、当初の予定通り日本巡回は6会場となったのです。パンデミックながら巡回展でおよそ20万人の方々に観て頂くことができたのです。

ウィーンへのフライトは中断されていて作品は一番近い空港へということでドイツのフランフルトへ戻し、そこから陸路でウィーン、ファドゥーツへ無事に返却されました。予定を大幅に超え、1年半という長い長い日本への旅が無事に終わったのでした。

写真提供:後藤暢子
筆者:のぎめてんもく

    To List     Next Article >